大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成3年(あ)145号 決定 1994年10月27日

本籍

京都市上京区下立売通御前通西入大宮町四八一番地

住居

東京都杉並区方南二丁目一二番一二-五〇二号

藤和方南町コープ

会社員

谷篤

昭和一五年四月五日生

右の者に対する相続税法違反被告事件について、平成三年一月一六日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人野々山哲郎の上告趣意のうち、憲法違反をいう点は、原審において主張、判断を経ていない事項に関する主張であり、その余は、事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項本文により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 高橋久子 裁判官 大堀誠一 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達 裁判官 大白勝)

平成三年(あ)第一四五号

○上告趣意書

被告人 谷篤

右の者に対する相続税法違反被告事件について弁護人は次のとおり上告趣意を述べる。

平成三年三月二五日

右弁護人 野々山哲郎

最高裁判所第一小法廷 御中

第一 原判決は、憲法の違反があり、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されなければならない。

一 憲法三九条違反

憲法第三九条前段の「何人も実行の時に適法であった行為については、刑事上の責任を問われない」の含意は、刑罰法規の不遡及の原則を規定するものである。

ところで、税法は極めて、複雑かつ技術的であるため、税務行政は、様々な通達等により行われている。

現に、最高裁判所も通達の法規範性を認めている(最判昭和三三年三月二八日民集一二巻四号六二四頁「課税が偶々通達を機縁として行われたものであっても、通達の内容が法の正しい解釈に合致するものである以上、課税処分は法の根拠に基づく処分と解するに妨げがない。」)。

従って一般国民も右通達に則って行動しており、税務の専門家である税理士等も右税務当局の諸通達は一般法規と同様に取り扱っているのである。税務当局の通達等は、税務当局とともに一般国民にとっても法規範性を有しているのである。現行税務行政は、右通達等の法規範性と右法規範性に対する税務当局と一般国民、税務に携わる専門家の依拠により、法的安定性が保たれているのである。

従って、右税務行政における実務上の取り扱いは、一般国民にとっても従うべき規範としての効力を有しているし、また、その変更については、格段の配慮が必要となる。特に、刑事的な処分の重大な変更となる場合には、慎重な配慮が必要である。

本件において、少なくとも、近畿地区においては、同和組織による税務申告については、調査を行わないという取り扱いが、公式に一時期行われていたのである。右取り扱いの結果、更正処分その他の行政処分も、刑事罰も課されることはなかったのである。

しかるに、税務当局の同和組織に対する対応の変更により、行政処分すらなされなかった取り扱いから一転して、刑事罰までいきなり課されるようになったのであるが、本件行為時には、対応の変更について、周知徹底はなされていないのである。

従って、本件行為時においては、被告人らの行為は、適法行為であったといわねばならない。少なくとも、適法行為とみなされる取り扱いがなされていたのである。しかるに、なんら、格別の処置をとることなく、適法行為としての取り扱いから、違法行為に変更して課税処分を行い、その上刑事罰まで課するのは、憲法三九条に反すると言わねばならない。

従って、原判決には、憲法三九条前段違反があると言わざるをえない。

二 憲法三一条違反

憲法三〇条は「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。」と定め、納税義務は法律の根拠を必要としている。右法律の意味についてはさらに、憲法八四条において「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と定め国家の課税権が国民の権利義務にとって重大な影響を与えることから、厳格なしばりをかけているのである。

しかも、租税法律主義は、課税要件とともに、徴収手続についても、要求されていることは、判例においても認められている(「憲法三〇条、憲法八四条の規定する租税法律主義は、課税要件のほか、租税徴収手続も法律又はその委任に基づく政令等によって明確に定められていることを要求する趣旨である。」東京地判昭和四〇年六月二二日行例集一六巻七号一一五八頁)。

ところで、租税法律主義の外延が通達等税務当局の諸見解にまで広げられていることは前述の最高判例のとおりであり、判例も通達行政を認めているのである(最判昭和三三年三月二八日民集一二巻四号六二四頁)。

税務行政の複雑性、専門性の要求するところである。

従って、税務行政においては、通達等税務当局の諸見解についても、厳格な明確さが要求されるのである。まさに、憲法三〇条、憲法八四条の要請するところである。

ところが、本件行為は、それまで、同様の行為が、税務当局により不問に付されていたにもかかわらず、税務当局の姿勢の変更により、なんら、事前の周知徹底がなされないまま、犯罪としての取り扱いがなされるようになってしまったのである。

ある行為が、犯罪とされるためには、成文法で明瞭に定められねばならないとするのが、罪刑法定主義の要請であるが、本件における税務当局の対応は右の要請に違背している。

結局、原判決には罪刑法定主義違背があり、従って、憲法三一条違反があると言わねばならない。

三 憲法第一四条違反

ある行為が、適用の時期により、適法であったり、違法であったりしては国民の基本的人権は守られているとはいえない。特に、刑罰法規の恣意的適用がなされては、国民の基本的人権はないがしろにされているといっても過言ではない。それゆえ、罪刑法定主義、刑罰法規の不遡及の原則は、近代民主国家の大原則である。

ところで、右の意味における法の意味は、現代社会においては、狭義の意味の法律に限定はされていない。

少なくとも、判例に法源性を認めることには大方の争いはないと思われる。現行法上も、刑事訴訟法第四〇五条二号において「最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと。」同三号において「最高裁判所の判例がない場合に、大審院若しくは上告裁判所たる高等裁判所の判例又はこの法律施行後の控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたこと。」と規定し、判例の法源性を認めていると思われる。

現行刑事訴訟法の母法である英米法においては、判例の法源性を明確に認めている。そこでは、判例の変更については、極めて慎重な対処が検討されている。

つまり、従前の判例に依拠して行動していた国民がある判例の変更を契機に法的取り扱いが変更されるとすると、国民の法的生活における法的安定性は害されてしまうので、判例の変更においても、不遡及的変更が要請されているのである。裁判所の判断の遅速によって、適法となったり、違法となるのでは、国民の行動の準則としての役割を果たさず、逆に恣意的な適用となってしまって、国民の基本的人権が犯されてしまう点で、法律との間に異同はないからである。

判例と同様以上の重みを持っているのが、税務行政における通達等の税務当局の諸見解であり、国民は、税務当局の諸見解に依拠して、行動しているのである。しかるに、当局の恣意的な政策変更により、それまで、適法行動と思われていた行為が、突然、違法とされ、しかも、刑罰まで課されてしまうこととなってしまっては、国民は、法に対する信頼を失ってしまうといっても過言ではない。

憲法一四条は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。」と規定するが、右規定における法とは、広義の意味における法であるといわねばならない。

ところで、本件においては、税務当局の同和行政の振幅の巾が大きいため、逆差別的結果を招来してしまっているのである。

本件以前、税務当局は同和組織に対し、過度に低姿勢であったために、一般国民との間に、不平等を生じていたが、対応の変更により、逆に、同和組織による申告というだけで、過度に、厳格な対応をすることとなってしまっているのである。

本件前後の税務当局の同和組織に対する対応は、それまで、合法として処理していた行為を、何ら事前に通告することなく同和組織による申告は外見的には、通常の税理士等による申告と差異がなくても、一律に違法の疑いがあるものとして、集中的に、違法として処理し、刑事罰まで課しているのであり、平等原則に反すると言わねばならない。原判決も、「新風会の常套手段である架空債務の計上」(原判決一五丁表)と述べるなど、同和組織に対する偏見を既に持っており、差別的取り扱いを是認しているといわざるをえない。

従って、原判決には、憲法一四条違反があると言わねばならない。

第二 判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があるから、刑事訴訟法第四一一条第三号によって原判決を破棄されるよう求める。

原判決は、なんらの根拠なく、「そのような高額な相続税の減額が、合法的ないわゆる節税の方法で実現できる筈のないことは明らかであり」(原判決一五丁表)と述べ、判断の前提において誤った認識を持って、被告人の行為を判断している。

しかし、原判決の右前提は、税務実務の実際を知らない者の前提と言わざるをえない。

例えば、過去における節税対策として著名となった節税方法として、養子縁組方式による節税対策があった。右方法によれば、相続税を合法的に〇とすることが可能である。

節税対策は、税務当局と節税コンサルタントとの知恵比べであり、概ね、節税コンサルタントが税法上の穴を見付け出し、税務当局が、発見された穴をふさぎ、また、節税コンサルタントが新たな穴を見付け出すという過程を経ているのである。

それ故、節税コンサルタント業務の需要が極めて大きいのである。

税額は税理士が計算する限り誰が行っても同じということはありえず、能力の差により、税額は大幅に異なってくるのである。

税務当局も、合法的な節税であれば、逆に奨励しており、この点に関しては税務当局のものの考え方の特異性も考慮する必要がある。

脱税と節税の差は、額の多寡ではなく、方法の差異である。税務の論理に従った合法的な節税行為であれば、如何に大幅な節税であっても税務当局は受け入れるのである。

原判決は、従って、大前提を誤っており、経験則違背ともいえる事実誤認により、被告人に脱税の故意があったに違いないと即断しているのである。

原判決の論理によれば、大幅な節税をプランニングする節税コンサルタントに税務対策を依頼する行為は、すべて脱税の依頼になってしまうことになるが、右結論が非常識であることは明らかである。

第三 刑の量定が甚だしく不当であるから刑事訴訟法第四一一条第二号により原判決を破棄されるよう求める。

原判決も認めているとおり、被告人の立場は、従属的であり、さしたる前科前歴もなく、共犯との刑の均衡等の事情もある。さらに、被告人の故意は、証拠上も明白とは言い難く未必的故意の下限にあるといっても過言ではないほどである。

なお、社会的背景としては、節税対策業務が隆盛を極めている事情の一つとして、税務行政自身の問題がある。

一方で過酷なほどに税金を徴収される者がいながら、他方で巧みな節税行為により資産を拡大している者がいる現実がある。

税務の論理から離れて鳥瞰的に見れば、税務行政には、極めて不当な事態が発生していると言わざるをえない。

平均的な国民にとっては縁のなかった節税業などという業務が流行ること自体不健全な社会である。

そのような社会的背景における被告人の行為は、一方的に責められるべきものとは思われない。

にもかかわらず罰金五〇〇万円を科すことは実質的に被告人を実刑に処することであり、重すぎる取り扱いと言わねばならない。

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